芸人ではないbananamanのなんでもあり日記

こんにちはbananamanです。小学生からニックネームで使っているだけ(当時バナナが大好きだっただけww)です。決して芸人の方とは関係ない!!

『ソロモンの偽証 前篇‐事件‐』観てきた。

 

 

今日は、『ソロモンの偽証 前篇‐事件‐』を観てきた。

予告編の時から観ようと決めていて、『悪の教典』を原作を読んで観てから原作を知っていた方が楽しめることを知っていたが、今作は長い!仕事もしてる中公開日まで読めるわけがない!!結果断念。

あらすじは引用しました。

 1991年12月クリスマスイブに城東第三中学校男子生徒が学校の屋上から転落して死亡した。警察は自殺と断定し、事件は解決したものと思われた。しかし、その後自殺した生徒、柏木卓也は自殺ではなく、城東三中きっての不良少年、大出俊次が殺したとする三通の告発状が届いた。

 事件の年二年生だった藤野涼子は三年生になり、卒業制作で学校内裁判をしたいと言い出した。反対する教師がいる中、賛成する教師北山の力を借りて裁判を行うことになった。大出が柏木を殺していない事は明白だったものの、疑う者も多かったため、汚名を晴らすため藤野は弁護人に名乗り出た。裁判は陪審制となり、裁判官、弁護人、陪審員が相次いで決定する中、唯一検察官だけ決まっていなかった。そこに本校の生徒でこそないものの神原という中学生が弁護人を志願してきたため、藤野は仕方なく検察官になった。

 僕の年齢が24歳だからかもしれないが、子どもと大人となると若干大人よりの考えになってしまう。だがまだ結婚もしていない分親にもなっていないから子どもの考えも少し入ってしまうのかもしれない。

自分が中学生の時のことを考えるとちょうどドラゴンボールにハマっていた時期だ。主人公の藤野涼子の行動を見ていると当時の自分がどれだけアホだったかが分かる。

劇中の生徒、中学2年である。当時の僕は、数学での証明の問題に疑問を感じていたことを覚えている。なんで数字を扱う科目なのに国語力を試されなきゃならんのだと反発し、テストでも回答を放棄した。ちょうど物心が付いてきて自分の考えが定着してくる時期と重なってそういう行動に出たんだろう。今思うと放棄までしないでもよかったが、詰め込み教育に将来何の役に立つんだと漠然と思っていた。

映画の話に戻るが、こういう考えが少なからずあって学級裁判を開こうと思ったのかもしれない。

全体的に言うと真実を解明したいのと同時に大人への反発も織り込まれている映画ではないだろうか。反発といえど良い意味の反発で、自殺と曖昧に片づけた警察と学校に嫌気がさすのは当たり前だと思った。

いじめのシーン・親の虐待などと残酷なシーンが少しあったが、全体的なバランス的に致し方ない表現だったかなと思う。中には過激なシーンを見せたくない一心で一切見せないと一方的に拒む親御さんがいると思うが、見せないのではなく、そういう行為をしない人間になるためには見ない選択は少し一方的な教育にも思える。この映画がR指定されていないことが物語っているのではないかと僕は思う。

やはり何でもかんでも禁止にするのではなく、”触れさせて自分で考えさせる”ことが真の教育になるのではないだろうか。

後篇は4/11日公開です。公開まで原作買って読んでみようかな。

 

ではまた次回。

 

 

ソロモンの偽証 第I部 事件

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ソロモンの偽証 第II部 決意

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